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日記だったり、ネタだったり、備忘録だったり。 若鶏のからあげ先生が日常をユーモラスに描きます。
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「髪の毛~ 手のひら~」から始まるTHE YELLOW MONKEYの球根、
私が高校の時から好きでよく聞いていたんですが
この歳になって初めて気がついたことがあり、取り上げようと思いました。

まったく意味のわからなかったこの球根の歌詞ですが、
冒頭の「髪の毛、手のひら」がなんかピンと来たんです。


”髪の毛 手のひら 愛の光
夢より まばらな 淋しい熱 Ah”

この髪の毛、手のひらは子供を触る順番じゃないかと。

例えば幼児と公園なんかで遊んでいて帰るときに呼ぶとする。

頭をポンと叩いて、帰るよ!といって自然に手を握る。
どうですか、子供と触れ合うとき、子供を触る部分って頭を撫でるか手を繋ぐくらいしかないと思いませんか。

なのでこの歌はありがちな男女の恋愛ではなく、
子供のことを歌っているのではと解釈して
考察してみます。


愛の光という歌詞も子供であることを示唆してると感じます。

子供とは両親の愛の結晶です。
眩しいくらいに光り輝いている。

次の部分
”Ah"に注目すると、聞いたことあるひとはわかると思いますが
歌い方が溜息に近い感じなんですね。

主人公は溜息をついたんです。

なぜか?

淋しいから。なぜ淋しいのか。

子供の頭を触って、手をつないで帰ろうとしている親子を見たから。

そして、自分には子供がいないから。だから溜息がでた。

”夢より まばらな”

そして夢と言えない。もっと可能性の低さを伝えている。



次の歌詞です。

”許されない 誰にも 喜ばれない
お前が咲くならば 僕は穴掘ろう”


結婚後、その状態を許せない人からの重圧。
自分にできることは、打開するためには、穴を掘るしかない。


”世界は壊れそうになった
今流星のような雨の中”


重圧は自分だけではない、折り合いが悪くなり喧嘩も増える。
この生活が壊れることもある。いろいろな悪い感情が交錯する中、

"身体で身体を強く結びました
夜の叫び生命のスタッカート”

あえて書きませんがここはそのままですね。


”土の中でまで命の球根よ
悲しいだけ根を増やして”


この悲しい思いをした分、だめかもしれないけどなにか少しでも前進していてほしい。
そんな強い気持ちが本当に胸に来る歌詞ですね。


”この真っ赤な情熱が
二人を染めた”


とあるブログによるともともとは情熱の部分は鮮血だったそうです。
その歌詞に置き換えると、生理がきたということ。
そして身体を震わせて泣いたということ。


”死ぬか生きるかそれだけのこと”


結果だけみればそう。


”世界はコナゴナになった
でも希望の水を僕はまいて Fu Fu”

また、だめだった。
でも、僕にできることはもう一度チャレンジすること。
希望を叶える唯一の方法だから。


”土の中でまて命の球根よ
魂にさあ根を増やして

咲け、花 花 花 花 花・・”


どうか早く出てこないでくれ
命の球根が魂に根を増やして

生まれてきてくれ・・・



という今、悩んでいる夫婦に向けた壮大な応援歌であり
自分の命というのはもしかしたら両親の深い努力の結晶ではないかと
そういうものを歌った曲にならないですかね。

僕はこの記事を書きながら涙が止まりませんでした。

この曲が出た当時、愛のない性が言われていた時代ですが
生殖としての性、命を繋ぐための性も社会的なテーマを込めて歌にしていたことに
今更ながらすごいと感じています。(遅いね)

吉井さんは10年に1度の曲といわれているみたいですが
魂が揺り動かされる100年に1度の名曲だと思います。

拍手[15回]

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私の大好きなBUMP OF CHICKENの曲
「スノースマイル」について

世の中のブログにはこねくり回した解釈や考察が多くてびっくりした。

よく読んでみると、スノースマイルは公式に「ラブソング」ではないとアナウンスされており、
そのことが比喩的に何か別の物事を例えた歌詞なんだろうと憶測を生み
様々な解釈がなされている。

調べて読んでみてほしい。
結局何がいいたいわけ?となる。

やっぱり何か作品を作るにあたって、作者はメッセージを込めると思う。
世に出すものなので漠然とは作らないと思う。
その極限まで削られた歌詞の真のメッセージを受け止めることは
ただなんとなく漠然と聞くときよりももっと感動が大きいはずだ。


スノースマイルをもっとシンプルに解釈できないだろうか。

ここにスノースマイルについて私なりの解釈をまとめてみようと思う。

まず、注目するべき歌詞は

”二人で歩くには少しコツがいる 君の歩幅は狭い”

の部分。

多くのブログでは彼女の歩幅と自分の歩幅が違うからという解釈だ。

よく考えてほしい。
彼女と手を繋いで歩くとき、どうなるか。
お互いが歩幅を合わせようとする。
コツなんかいらない。


誰か他の歌の歌詞でもあるように女の子が頑張って彼氏の歩幅についていくというのはある。
彼氏が紳士的なら少しゆっくり歩いてエスコートする。これはコツではない。
だいたい女の子が「君と歩くにはコツがいるね」って言われたら嫌だろう。


でもここの歌詞では「歩幅が狭い」と断言し、「コツがいる」とまで言う。

自分が相手に合わせている。

相手は自分に合わせられない。

つまり小さな子供だということだ。
そして歌詞の距離感から「息子」か「孫」だと断言する。

ここでは

君=息子

これを頭に入れて歌詞を見ていく。


”冬が寒くって本当に良かった
君の冷えた左手を
僕の右ポケットにお招きするための
この上ない程の理由になるから



お父さんが息子と手をつなぐ口実。「寒いから」
僕=お父さんなんですね。


”「雪が降ればいい」と 口を尖らせた
思い通りにはいかないさ
落ち葉を蹴飛ばすなよ 今にまた転ぶぞ
何で怒ってるのに 楽しそうなの?”

これは息子が雪が降ったらいいのに!と言ったら
お父さんが何でも思い通りにはならないよと教えてくれている場面。
また雪が降らないので落ち葉を蹴りながら歩いている息子を注意している。
息子はお父さんが怒ってると思ったんだけど、
なぜか楽しそうにしているのが疑問。

なぜお父さんは楽しそうなのか。次の歌詞でわかる。

”まだキレイなままの 雪の絨毯に
二人で刻む 足跡の平行線”

もし雪が降ったら息子と二人だけで雪の絨毯を歩く。
息子は喜ぶだろうし、いい思い出になるなぁと想像して楽しみ。

でも

”こんな夢物語 叶わなくたって
笑顔はこぼれてくる
雪のない道に”


そんな夢物語のような出来事が起きなくても、
今この瞬間息子と歩くのが幸せだ。自然と笑顔がこぼれる。


ここまでが1番の歌詞の出来事。

息子と手をつないで歩く。
息子がぶーぶー言いながら歩く。
息子と雪が降ったらいろんなことをしようと考えながら歩く。

お父さんと小さい息子が一緒に歩いている楽しい感じを表現していると思う。
お父さんが息子と歩いてこれからいろいろな思い出を作るんだとにやけている。


2番の歌詞を見ていきましょう。

”二人で歩くには 少しコツが居る
君の歩幅は狭い
できるだけ時間を掛けて 景色を見ておくよ
振り返る君のいる景色を”


息子と一緒に歩くにはコツが居るということと
できるだけ息子と一緒に過ごせる時間を作って
小さい息子を見ておきたい。
すぐに大きくなって一緒に同じ景色を見ながら
何かを感じながら歩くということができなくなるから


”まだ乾いたままの 空のカーテンに
二人で鳴らす 足音のオーケストラ
ほら夢物語 叶う前だって
笑顔は君がくれる
そんなの わかってる”


雪が降るまえだけど、寒空のなか二人で霜柱を踏む。

足音のオーケストラという歌詞が霜柱の比喩表現だと思うが、
これはお父さんと息子が毎日幼稚園か保育園に通園するときの
通学路での出来事ということがわかる。

足元で音がして息子が笑顔になる。
お父さんもそれを見て笑顔になる。

ここまでの歌詞で
二人で雪道を歩くという出来事が実現しなくても
お父さんと息子は二人で同じ感性を持って笑い合える。

息子に自分の感性が伝わったことがわかった。
息子が今、自然の景色の中で感じ取って笑顔になったことが
その証明だ。


”まだキレイなままの 雪の絨毯に
二人で刻む 足跡の平行線
そうさ夢物語 願わなくたって
笑顔は教えてくれた
僕の行く道を”

時代が進む。息子は大人になった。

お父さんがきっと楽しいだろうと想像した
雪道を二人で歩くということ
それは結局叶わなかったが、一緒に通園するときに感じた
お父さんの笑顔は僕に伝わっている。
僕はお父さんの感性を受け継いでいる。

また、僕=大人になった息子=作者だとすると

自分が笑うこと=お父さんが笑う=同じ感性。
つまり自分が好きなこと(笑顔になること)をする道を選んだのは
1番や2番の歌詞で歌っているお父さんとの思い出から影響を受けている。

と解釈できる。


”君と出会えて 本当に良かった
同じ季節が巡る
僕の右ポケットに しまってた思い出は
やっぱりしまって歩くよ”


君のいない道を


最後の部分の歌詞は時代が進んでいるので

君=息子が成長して大人になっている。

自分の道を見つけて独り立ちした息子。
もう一緒に並んで歩くことなんてなくなった。

お父さんは昔一緒に通学した道を一人歩いて
右のポケットの中で息子の左手を一緒に手をつないだ日々を思い出している。

だけどお父さんが息子に教えたかった感性。
それを伝えることができたことに満足している。

うれしいけどさみしいような気持ちだと思います。
そして多分お父さんは笑顔なんじゃないかな。
雪が降ってるから。

子供の成長は早く、かわいい時は一瞬で雪のように消えてしまう。
でもその時の思い出は一生残ってるよ。ということを言いたいのではないでしょうか。
だからスノースマイルじゃないんですか。



作者がスノースマイルに込めたメッセージは
「お父さんは何歳になってもずっと子供の成長を見守っている。子供のころを思い出してごらん。あなたの中にもきっとお父さんから受け取ったものがあるはず」ってことじゃないかな。

一言でいうと
「子離れと父から受け取った大事なこと」






補足
君=彼女とすると矛盾がでる。
彼女の笑顔が自分の道を行く決心をさせ、結局別れる
彼女どうなるの?
自分の道に彼女はいなかった。自分が売れるためにしょうがなかった。
こんなバッドエンドを歌にする?
BUMP OF CHICKENはそんなエゴイズムなメッセージを絶対に歌にしない。


拍手[6回]

「お父さんと、こうやって手を繋ぐの、久し振りだね」

優子は横目で僕の顔を見ながら、ぽつりとつぶやいた。

「そうだなあ、いつぶりだっけ?」

「ほら、あの時。高校の入学式で遅刻しそうになって。」

「その時以来か。懐かしいな。」

「うん。」

優子は少し笑うと、まっすぐに前を見た。

視線の先には駅。

今から僕達が向かう場所だ。




優子が小学生に入る前、妻は病気で死んだ。

僕は優子を親戚に家に預け、週末だけ会いに行っていた。

毎週、手をつないで公園に出かけていく。

穴を掘ったり、虫を探したり。

大きくなってからは友達のこと、先生のこと、

いっぱい話してくれた。

でも僕が帰るときには、わんわん泣いていたね。



そうだ優子、覚えてるか。

僕が、お風呂で歌った優子の歌。


「お父さんは優子のこといつも考えてる

 一日中優子のこと考えてる

 だけどお父さんはやっぱり少しバカで

 全然優子の気持ちなんてホラわからないみたい」


おたくな後輩がカラオケで歌っていた歌の替え歌だったけど

優子はすごく気に入ってくれてたね。

そして僕も本当は気に入っていたんだ。



歩きながらいろいろなことを思い出していた。

心ではいろいろと考えていても、言葉にはならない。

無言のまま、とうとう改札まで来てしまった。




今日、優子は東京に就職する。




「お父さん、ここでいいよ。」

「でも荷物があるから。ちょっと待ってて。」

慌てて入場券を買う。




今日が最後の別れじゃない。

就職で東京に行くだけだ。

けれど親として、何か言葉や、エールを贈らなければ。


だが妻に瓜二つの優子の顔を見ていると

「さよなら」以外の言葉が思いつかない。


「お父さん、さよならじゃないんだからね。」

はっとして優子を見る。優子には全てお見通しだ。




突然、電車のベルが鳴る。

優子の乗る電車が到着する。


「いくね。」

「優子、あの。」

「うん。」

「父さんが歌った、優子の歌、覚えてる?」

「うん、私も今その歌を思い出してたんだ。」

「そうか、じゃあ、寂しくなったらその歌を歌えよ。」

「そうする。お父さんも歌いなよ。その時はたぶん私も歌ってるから。」





「また。」

「うん。」




そして出発のベルが鳴った。




奏/スキマスイッチ













優子を見送ったあと僕は○○書店に向かった。

拍手[3回]

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